このシリーズは、僕自身が過去の記憶を振り返ると共に自身がどういう家庭で育ちどう言ったことに影響され育ったのかを書き記しタビナスジェファーソンを知ってもらおうという記事である。

ちなみに写真は四年前の写真です。

ガーナ人とフィリピンのミックスで日本生まれ、3つの言語を話す人間に触れれることは、そうお多くないと自分でも感じるからこそ書こうと思う。

今回は、弟が生まれたその後、サッカーとの出会いについて触れていこうと思う。

※前回の記事はここからよくことが出来ます。まだ読んで無い方はぜひ!!

サッカーとの出会い

初めてサッカーを目にしたのは覚えてないが、プレーし始めたのは年長の頃だ。母の友達の息子が通っていたサッカーチームに行ったのがきっかけだった。小さい頃は、自分の興味がないことは一切しない子だったと母はいうが、父がサッカーを観ていた影響もありすんなりと体験会に言ったという。体験した結果は言うまでもない。サッカーの魅力にどっぷり肩まで浸かった。

小学校に入学しても、サッカーへの情熱は冷めずにいた。

小学校入学

年長を卒業し、小学校に上がることになった。保育園の子たちはみんな保育園の近くにあった青柳小学校というところに進学した。しかし、僕は引っ越した影響もあり誰一人友達のいない早稲田小学校に入学した。

幼い頃の自分はとても恥ずかしがり屋さんだった。どのくらい恥ずかしがり屋さんだと言うと、選抜チームの選考会で誰とも話さずに帰るくらい(話しかけられても全部無視)もちろんその影響もありこれと言った大きな結果を残せずによく落ちていた。

冷静に考えるとすごい尖ってる奴みたいでいいな。

そんな僕は友達を作るツールといえば、サッカーだった。休み時間の校庭で輝き次第に仲間が増えていった。お調子者の僕の周りには悪ガキたちが集まってききてとてもたのしい日々を過ごした事を覚えている。

肌の黒い悪ガキ

肌の黒い悪ガキはよくも悪くも凄く目立つ。毎日のように職員室に呼ばれそれでも悪さを続ける。そんな日々が続いた。小学校四年生の時、六年生に顔面を殴られた。ことの経緯は本当に些細の事だが、昼休みの校庭で六年生の子が僕にボールを当てられたと勘違いして近くにいた自分が殴られた。もちろんそれで終わるはずもなくしっかりボコボコにしてやり返してやった。

ちょいちょい喧嘩をすることはあったが、ここまで人をボコボコにしたのは初めてだった。今回は職員室ではなく校長室に呼ばれメチャクチャ怒られた。小さい頃から怒られる事には慣れていたが、家に帰り報告を受けた母が泣いて悲しんでたのを見た時、もう喧嘩になっても手は出さないと誓った。

小四の僕に母の涙の効果は絶大だった。

練習嫌い

小学生五年生までは、絵に描いたような練習嫌いだった。平日に練習はあるが平日は友達と遊び土曜日は試合ならいく練習なら家でまったり、日曜日は家族で教会に出掛けるのがリトルタビナスのルーティーンだった。

お気づき通り練習にはほぼ行かなかった。本当に調子が良くて暇な時で月に二回とかしか行かなかった。(小学生で忙しいはずないのに…)

これは、タビナス家の方針でもあったんだけど『家族との時間は出来るだけ大切にする。』自分も家族ができて思ったが家族との時間以上に大切なものはない。そしてそれが減っていく事を両親は知っていたからこそ小学校生の僕にそのようにしてくれたのだと思う。

こんな僕だったが、練習に行かずとも飛び級で上の学年を主力として引っ張っていたから、もちろん試合に行けばスタメン。そんな僕を変えた大きな出来事があった。

小五最後大会のBチーム落ち

新宿区では一月に最後の大会ライオンズ杯がある。僕はこの大会に並々ならぬ情熱を注いでいた。なぜなら、この大会ではメダルが貰える上に全校生徒の前で表彰される当時の僕には格好つけるのには持っていの大会だった。

もちろん、FC早稲田は優勝候補の一つだった。そしてその大会に僕のチームは五年生チームと六年生チームで出場していた。当然のようにAチームで試合に出るイメージをしていた。ちなみに前年度、小四の時はAチームとして大会に出ていた。

しかし、送られてきたAチームのメンバー表に自分の名前はなかった。間違えだと思ってコーチに電話したら、今大会は五年生チームの方ででろと言われた。理由を聞くと練習にこない選手は試合で使いたくないと言われた。

当時の自分には、理解不能だった。だって練習に行かなくてもチームで一番活躍してるのが自分だったから全く練習の意味がわからなかった。

頭にきた僕は、打倒Aチームという目標を掲げた。自分を入れなかったことを後悔させてやるという気持ちで挑んだ。

大会が始まるちょっと前にオスグットという膝の成長痛になってしまった。激痛でサッカーどころでは無かったがそれよりもAチームを倒すために痛みをこれえて大会にた。

結果は3位でした。

悔しくてたまらなかった。勝てば決勝でAチームとの試合だったのに。後にも先にもこれ以上に悔しい経験をすることは多くないと思った。

後から聞いた話だが、監督はこの先の自分の為を思って目先の勝利ではなく自分の成長のためにこのような決断をしてくれたと人伝に聞いた。

それから、単純な僕は毎週の土日は練習に励んだ。そのおかげでサッカーが上達する楽しさ、相手との比較ではなく過去の自分との比較が徐々にできるようになりサッカーがより好きになった。

今回の記事はここまで、次回の3章では中学進学中体連かクラブチームかの葛藤。FCトリプレッタでの日々を書いていく予定です。

そちらも是非お楽しみに。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

それでは、ピース

最後に宣伝になりますが、モノを子どもたちの笑顔にする活動をしています。興味がある方は是非見ていってください!!

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